中学時代、国語の授業でよく言われた老子・荘子の「無用の用」、儒家の「入世」、道家の「出世」。



今、もっと荘子を読むと、荘子は孔子よりもむしろ「入世」していることに気づく。仁義道徳は「应然」の哲学であり、変化する客観的世界の枠組みである。一方、天の道は、ランダムさ、変化、そして荒谬についてのものであり、賢者はむしろ弱さに守られ、強さに害されない。

まず自己に存し、次に他者に存す。人間界の一つの物語は、すでにすべての知識人の疑問に答えるのに十分である。

その不可知を知りながらも、運命の如く安んじること。執着の苦しみは、実は自ら火に焼かれるようなものだった。
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